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WHO報告、胃がん8割がピロリ菌が原因世界保健機関(WHO)の専門組織、国際がん研究機関(IARC、本部フランス)は24日、胃がんの8割がピロリ菌の感染が原因で、除菌で胃がんの発症を3〜4割減らせるとの報告書を発表した。国内事情に応じて、除菌による胃がん予防対策を検討するよう各国に求めた。IARCは1994年にピロリ菌を発がん要因と分類したが、胃がんの主要な原因であると認めたのは初めて。特に、日本人に多い胃の入り口(噴門部)以外の胃がんでは、9割の原因であると推測されるという。 (2014/09/25) |
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日本人に多い胃がんや胃潰瘍の大きな原因とされるピロリ菌(正式名はヘリコバクター・ピロリ)の除菌は、・十二指腸潰瘍や早期胃がんの治療後など、4種類の疾患でしか保険適用にならず、そうした病気がない場合の除菌は自費診療となり数万円の費用がかかりました。除菌をすれば胃がんの発生が3分の1になるといわれ、胃がん予防のために除菌を勧める指針が出されていますが、こういった費用面がネックになっていました。これを受けて、厚生労働省は製薬12社の薬について、本年2月21日から保険の対象に慢性胃炎の治療を加えることを認めました。内視鏡検査で胃炎が認められ、ピロリ菌検査で陽性になれば保険の適用となります。除菌治療では、「アモキシシリン」「クラリスロマイシン」の2種類の抗生物質と、胃酸を抑える薬剤を1日2回、7日間飲む。4週間以上あとに、除菌できたかどうかを検査する。菌の耐性で除菌が失敗した場合、薬の種類を変えて再び除菌療法を行う。 (2014/06/05) | |||
夏目漱石の胃潰瘍はピロリ菌の仕業? 明治の文豪 夏目漱石(1867~1916)は甘い物に目がなかった。執筆に行き当たると菓子を物色し、饅頭や羊羹をつまんでは胃を害ねた。鏡子夫人はこどもたちのために作った自家製のアイスクリームやケーキを夫に判らぬよう隠したりしていたという。明治43年6月、42歳のとき東京・内幸町の長与胃腸病院で胃潰瘍と診断され、6週間の入院治療をした。珍妙だったのは同院のコンニャク療法である。腹部を2枚のコンニャクで温めるのだが、皮膚に火ぶくれができるほど熱く、本人も「痛いこと夥(おびただ)し」と悲鳴をあげた。退院後は修善寺温泉へ療養にいったものの、宿に入って8日目の8月17日に100g、19日に180gの吐血をみた。24日にはゲェーッと不気味な音を立てて500gの血を吐き人事不省となり、多くの仲間や門人が宿に駆けつけた。のちに「修善寺の大患」と呼ばれる大事件である。8月末、ようやく快方にむかい、初めて口にした粥を味わって「こんなに旨い物はない」と悦びにひたった。退院後、元気を取り戻し、翌年夏には関西へ講演旅行に出かけた。だが大阪では講演直後、胃潰瘍が再発してしばらく入院した。大正2年にも3度目の胃潰瘍を患ったが、なんとか回復することができた。漱石は22歳のときの身体検査で身長158.7センチ、体重52.3キロ、胸囲79センチあったが、鏡子夫人によれば、度重なる胃病のため晩年は痩せが目立ち、髪や髭もすっかり白くなって老け込んだという。写真ではよくわかりませんが、随分と小柄だったんですね。 大正5年秋、4度目の胃病が生じた。11月22日、漱石は知人の結婚式に出席して洋食と好物の南京豆をポリポリ頬張った。すると翌日、自宅で激烈な胃痛を覚えた。それから数日間は絶食して軽快しつつあったが、28日夜、急に床の上に起き上がると同時に「アァ」と一声叫んで意識を失った。腹部が太鼓のように膨れあがり、医師は胃腸に内出血が生じたものと診断した。食塩水注射と滋養浣腸が行われ小康を得たものの、12月2日の午後、排便の際に自ら腹圧を試みたその瞬間、また急に倒れて昏睡状態に陥った。 絶対安静をはかるも12月9日午後6時、危篤状態となった。臨終の際は苦しがり、胸をあけて「ここに水をかけてくれ」と頼み、看護師が霧を吹きかけると白目をむいてこと切れた。享年49。翌日、東京帝大病理の長与又郎博士の執刀で病理解剖が行われ、胃潰瘍からの大量出血による失血死と判明した。 近年、豪州のマーシャルとウォーレンは胃炎や胃十二指腸潰瘍の成り立ちにピロリ菌の感染が深く関わっていることを発見し、2005年度のノーベル医学・生理学賞に輝いた。最近の新聞報道によれば5万8000年前のアフリカの人類にもピロリ菌がみつかったという。とすると漱石の胃壁にもピロリ菌が巣食っていたことは十分考えうる。 漱石は生前「死ぬときは苦しみに苦しみ、『こんなことなら生きているより死んだほうがよい』と納得してから死にたい」といったが、そのことば通り凄絶な最期を迎えた。漱石が現代に生きていて胃潰瘍はピロリ菌退治で治ると知ったら-----。 (2018.03.06) |
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